私には何ができるか 〜人を助けたいと思った気持ち〜

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私には何ができるか 〜人を助けたいと思った気持ち〜

【2023年7月21日追記】何度か読み書きするうちに読むのが大変なことに気付きました。ひと段落するごとにまとめましたのでご興味あるところから読んでもらえれば幸いです(。uωu)♡

ストレートに表現することが少し怖い世の中

こんにちは、 Kasumiです。

タイトル、私的には「けっこうストレートにいったな」と自分ではドキドキに思うのですが、皆さまにはどのように映っていますでしょうか?

ちょっと怖いです。

どうして怖いのかと自分に問うと(考えると)多分それはざっくばらんに「自分にそんなことができるのかな?」といったような、そんな風に自分を扱う自分がいるからだと思います。

あとはやっぱり、そんなことを言って「実際には助けられなかったらどうしよう...」とかそんなことも思います。

あとは昨今、ネット内でもたくさんの事件や噂を耳にしたり目にしたりします。

どちらかと言うと私は、ネット社会、SNS、メディアというものからはかなり距離を取っている側の人間だと思います。

それは後付けかも知れませんが、たまたまかも知れませんが、私は二十歳やそのくらいの頃からTVを見ていません。

私にとってはですが、あまり物体として存在意義があまりありません。

時折生活の中にTVがやってくることはあるのですが、最後にテレビを知人に譲って以来、基本的に私にとってはTVは置き物のような存在になっています。

何か特別な理由があるわけではありませんが、当時の「あんまりニュースを見たくないな(聴きたくないな)」という自分の気持ちに従ったまでです。

自分に関係のない誰かだったとしても、そういった人が死んだり殺されたりだとか、そんなのが当たり前のように流れてくる日常に少し疑問を感じていました。

また見ず知らずの誰かが結婚したとか、別れたとか、そんなような出来事も私にとってはどうでもいいことでした。

なので、およそ〝メディア〟と呼ばれるものからはかなり身を遠ざけた生活をしてきたと思います。

おかげでかなりの世間知らずではありますが、でも幸いそれで困ったことは1度もありません。

ですが昨今、そのような私でもこういったネット社会での事件や、あまり良くない噂を耳にしたりもします。

そうするとやはり単純に「怖いな」とそう思います。

いろんな人がいます。

いろんな人がいていいと思います。

でも不用意に他人を傷つけなくちゃならないほど、ましてや見ず知らずの他人を死に追い込まなきゃいけないほどのことってなんなんだろうなって、私は思います。

ですので仮に自分がこういったインターネット上の活動を通して誰かのお役に立てたとしても、その反対もいる、、、かも知れないというのはやはり怖いことだなと思います。

ですがやっぱり困っている人がいたら助けたいって思いますし、それが身近な人だったり自分にとっての大切な人であれば尚のことです。

しかし多分、今私が言っている「助けたい」という対象の〝人〟は、未だ見ぬこれから会うべくして会う人たちのことを言っていると思うんです。

この際なので、今思うこの気持ちをここに書き連ねさせてくださいm(__)m

人を助けたいと思ったきっかけ

初めて「人を助けたい」と思った時。

それは今まで築いてきたあらゆる人間関係の崩壊の元やってきました。

その気持ちに気付いた頃はまだコロナの真っ最中、多分生まれて初めてそのように言語化した自分がいました。

多分今までにも人の役に立ちたいとか無意識にでもそういったことは何度も思ったでしょうし、思ってきたと思います。

実際にはどうだったかはわかりませんが、でもそうなれるように生きてきたとも思ってはいます。

しかしいつの日からか、それは自分をすり減らすばかりの行動に変わっていました。

少し極端ですが「頑張っているのになぜか報われない」そんな日々が続いていた頃でした。

そして段々とそれらは積もり積もり、気付いた時には「もう誰にも会いたくない」「誰の助けもしたくない」というような私になっていました。

厳密に言うと少し違くて、多分その時にも助けたいというような気持ちはあったと思うのですが、どちらかと言うと「私も助けて欲しいよ」というような、ちょっとヤケクソで、ちょっと自暴自棄のようなそんな気持ちだったかも知れません。

いろいろはありましたが、今私は幸せです。

もしかしたらその時また別の選択をしていたら今とは違った未来があったかも知れません。

ですが当時の私を今振り返ってみても自分がやれるだけのことは精一杯やったと思えています。

人を怒る、人に対して憎しみの感情を持つ。

どれも悪いことではありません。

どれも大切な1つの感情です。

どうかそんな自分の本音を見失わないように♡

親友との別離を決意

当時、私にとっては1番の親友と呼べる友達がいました。

友人にとってその頃は、とても過酷で耐えがたい試練のような現実が目の前に起きていました。

今になってみたら、もしかしたらそれは友人にとって必要な経験で必要な事だったのかも知れません。

ある意味、友人にとっての親友であった私にも必要な出来事だったのかも知れません。(ちょっとわかりづらくてすみません)

神様は不必要なものは私たちに与えないとか、、、そんなような話も聞いたことがあります。

それが本当にそのようなものだったかは私にはわかりません。

ただ友人の真意はわかりませんでしたが、自分自身のことはよくわかっているつもりです。

当時の私はそんな友人を見ていても、自分は何もできずにいたと思っています。

友人は精神科に通うようにもなり、なんとしても平常や日常を取り戻そうと必死に頑張っていたと思います。

少し落ち着いた頃、その友人と久しぶりに会うことになりました。

どういうわけか、辛いとか寂しいだとか、そのような泣き言を言うことは一切せず、今の自分を幸せだと言い切り、そしてそれ以上は触れられないような立ち振る舞いをしていたように思えます。

実際の本音はわかりませんが、正直私の心は傷みました。

今となってはどのような心境だったか上手く言葉にすることはできませんが、胸中穏やかではなく、今すぐにでもその場から立ち去ってしまいたいような、そんな気持ちになったのは今でもよく覚えています。

無理して明るく振る舞っているように見えたのは言うまでもありません。

たまたまだったかも知れませんがフェイスラインもボコボコになるほど荒れ果てていて、見ていてとても辛かったです。

しかし私はそんな彼女を他所に、初めて芽生えたであろう彼女に対してのモヤモヤを自分に感じさせないようにすることで精一杯でした。

そうして気付けばあんなに大らかで寛大だった友人は何かと他人の粗探しをしてはそれを悪く言ってみせたり、特に女性に対してはキツく当たるようになったなとも感じました。

その時も決して友人の良いところがなくなったわけではなかったと思います。

しかしその攻撃的な姿勢は段々と私にも向かってくるようになりました。

私は守ることができませんでした。

そんな友人のことを。

別に守るとか守ってほしかったとか、そんなのではないのかも知れません。

助けてと言われたわけでもない。

でも私はその子の助けになりたかったです。

けどなれませんでした。

むしろ自体はどんどん悪化していくようにも見え、そしてついに私は自分を守るように友人から離れることを決意したのでした。

敢えて母を突き放すようにも、、、

ここではあまり触れませんが、元来私の両親は不仲です。

故に母が頼るべく矛先はいつも私に向かっていました。

幼い頃からそんな母と接する機会が多かったので、どうしても私自身も母に肩を入れがちでした。

いつしかそれが当たり前になっていました。

ちょうど友人との一件もあり、私自身「ちょっと疲れたな」と落ち込んでいた時、また輪をかけるようにそれはやってきました。

具体的にはあまり言いませんが、それまで何かと私を頼ってくる母に嫌な気持ちをしたことはあまりなかったと思いますが、その頃はあまりにも「そんなの知らないよ」というようなことまで聞いてくる始末。

携帯が繋がらない。
職場のロッカーに携帯を入れると圏外になる。
お父さんの銀行の口座のパスワード変えた?

などなど、、、

これはほんの一例ですが、こんなようなことが1週間もあれば3〜4回は連絡がくるようになっていました。

大好きな母を突き放すことはあまりしたくありませんでしたが、もうそんな心の余裕もないほど私の心は疲れ切っていました。

同時に以前から母が頼ってきてくれることは何かと嬉しさを感じることもありましたが、反面「どうしていつも私なのだろう(私は長女でもなければ長男でもないので)」という気持ちも拭えずにいました。

友人との一件もあり、まぁまぁ心の限界値にも達していたなと今になって振り返ってみてもそう思います。

これがもし1年に1度しか会えないような距離にいて、たまに来るような連絡であれば、もしかしたらまだ私も「何言ってんの!?」と笑い飛ばして、そんなような内容でももう少し母の話を親身になって聞けていたかも知れません。

しかし当時の私は「そんなこと携帯会社に連絡してよ」と、「もうそんなことで連絡してこないで」と、その時にあったもううんざりやイライラをそのまま母に投げ返してしまったと思います。

それは幸いにも、今、後悔や罪悪感といったようなものにはなってはいませんが、でも当時は敢えて冷たくしたり突き放したりすることはやっぱり苦しかったと思います。

「悪いな、、、」って何度も思いました。

でも、とっくに私自身が助けてほしかったんだと思います。

「何を?」と聞かれたら、多分生まれてからその時までにあった〝いろいろ〟をだったと思います。

動物たちとの出会い(Youtubeにて)

当時やはりその時と同じくらいの頃、私はついに人間からは離れ、そして人間の言語を話さない人たち(動物ですが私はそんな風に言います)の動画を度々観るようになりました。

小さい頃、おばあちゃんが犬を飼っていたので、元々生き物とかは好きな方だったとは思います。

水族館とかに行ってもぼーっとクラゲを見ていられるタイプ、というかそういうのが好きです。

当時、まだYoutubeとかの使い方もままならない私だったと思うのですが、なんとなく出てきた動物系の動画を見たのがきっかけだったかと思います。

当時、そういう私のことを知って(聞いて)「変わっている」「病んでいる」と、そう私のことを呼ぶ人もいました。

確かに割と長いこと引きこもってはいましたが、単に元気がなかっただけ...だと私は思います。

私はあまり「病んでいる」とか、そういった表現を軽んじて遣うことがあまり好きではありません。

だから自分にはもちろんのこと、人にもあまり遣いたくない表現方法です。

なので私自身は病んでいたとは思っていませんし、むしろそのくらい人に対して尽力し、疲れ切っていたということだったのだと思っています。

あまり不用意に他人に「〇〇しない方がいいよ」とかそういう説教じみたことはあまり言いたくないのですが、でも本当に、自分が言われて嫌だなと少しでも不快に感じるようなことっていうのは、基本他人も同じだと思うのですよね。

ですので、やっぱり自分が言われて嫌なことっていうのは、他人にも言わない方がいいんじゃないのかなと私は思います。

仮に〝元気がない〟ということを〝病んでいる〟と表現してしまうことを100歩譲ったとして仕方のないことだとしましょう。

ですが、そういう時にそういう人へ掛ける言葉って決してそれではないと思うんです。

これは〝私なら〟ですが、そういう時は普通に見守っておいていただくか、それこそ「大丈夫?」とか「何かあったら言いいなね」とか「話したくなったら話しなよ」とかそんなような一言で十分ハッピーではないでしょうか。

私はそうやって自分を甘やかしてくれる人たちでいっぱいなのがいいですし、そうやって優しい人たちだけで自分の人生が輝かしいものになっていけばいいなとそう思っていますよ♡

...余談でした(笑)

話を戻しますが、私はとにかく動物や爬虫類やらの動画を見ては癒しを求めるようになっていました。

元々はカエルなんて、この世の1番苦手とするものかとも思っていたのですが、、、やっぱり愛ですかね。

今もとても触ったりはできませんが、飼い主さんのコメントや、飼い主さんを見ているであろうカエルちゃんの目とかを見ていると、なんだかめちゃめちゃ癒されるんですよね。

私の身近にいなかったような動物を普通に飼っていらっしゃる方もいて「すごーい!!」ってワクワクして見ていました。

ですが時として、そういう動画を見ていると突如〝別れ〟というものがやってくることがあります。

ちなみに私自身は動物を飼ったことがありません。

でもだからといって、動物は死なないだなんてそんなことは思っていません。

一ファンとして見ていた、例えば好きになったワンちゃんが死ぬこともあるんですね。

突然でもなく、それは次第に弱っていって、、、

それは私にとって、とてもものすごく悲しい出来事でした。

当たり前だけど動物たちは話せません。

だからなのか、自分の中で「でも一生懸命生き抜こうとしているんだろうな」と、そういう妄想も掻き立てられたりしながら、日に日に弱っていく犬公を見ては心が締め付けられるような何か悲しい思いがありました。

犬は話せません。

それは当然かも知れませんが、なので異変があり、犬本人はもしかしたら気付けていたとしても、でもそれを「なんか変だ」「なんかわかんないけど痛い、助けて」なんて言うことはできません。

だから飼い主さんも、その動物の身体に異変が見られるまで(そればっかりじゃないのかも知れませんが)なかなか気付けないものなのかも知れません。

それは仕方ないのないことだと私は思います。

でも私はその犬公が大好きでした。

大した理由はなく、本当にただ私がかわいいと思ったから。

飼い主さんの愛情もたっぷり受けていて、そしてわんちゃんが飼い主さんのことを大好きなのもとてもよく伝わった。

しかし「もうすぐ死んじゃうんだろうな...」みたいな雰囲気が日に日に伝わりました。

仕方がありません。

だってそれはもうこの世の決まり事のようなもので、どこかで見た何かにも書いてありましたが、私たちは生まれた瞬間から確実に1歩1歩ゆっくりとでも日々〝死〟に向かって歩んでいます。

ですが、そうと決まっていたとしても、例え見知らぬ犬でも、そして私のことなんてまったく知らない犬でも、何故か私は助けたいと思ったんです。

もちろん私に獣医さんみたいな何か特別なことができるわけではありません。

それ以前に犬のことなんてほとんどわかりません。

ですが、例え相手が犬だったとしても「誰かを助けたい」という気持ちに大義名分みたいなものは要らないんじゃないのかなとも思いました。

もしかしたらそんな風に思うことが「助かって!!」というような叫びでもあったのかな?と今になって思ったりもしますが、でも確かにその時は悲しくなって、寂しくなって、そして「私にも何かできないのかな」って思ったのは紛れも無く本心でした。

そのくらいの頃からだったと思います。

「私にも(他人に対して)何かできることってないのかな?」と思ったり考えたりするようになったのは。

友人との一件、そして家族との件、そして動物たちとの出会いや死。

それらはどれも同じようなタイミングでやってきて、そしてまた同じようなタイミングで生まれて初めて「人を助けたい」という気持ちが言語として自分の中に浮かび上がってきました。

今もこうして改めて「人を助けたい」だなんて例え文章だとしても言葉にすると、やっぱり目頭やハートを熱くさせるものがあります。

その頃から「私には何ができるか?」探しが始まりました。

しかし、それはあくまでも〝自分のしたいことで〟ということが前提でした。

ヒーローとは?

当時、その頃の私はもう労働をしたくありませんでした。

そんな言い方をしたら誤解を招きそうですし、語弊があるかも知れませんが、でもそれが本心でした。

なので「人を助けたい」とは思っても、どこかの企業に属するとかそういった気持ちは毛頭なく、でもだからといって、これといってできる何かも思い浮かびませんでした。

その頃の私は、自分が思い描くヒーローやヒロインからはあまりにも遠いところに位置してるように感じていました。

しかし依然として「何か人の役に立てることはあらんかね」という気持ちは消えませんでした。

そしてようやく1つの思い込みに気付いたのがこの記事を書こうとする数分前のことでした。

それは、私は今までヒーローとは対大勢を相手にして勝っていく、、、みたいな、そんな存在だという思い込みだったと思います。

当然その思い込みは「自分にはそんなの無理だ。」と弱くも小さくも、そのように自分を見せていたと思います。

今もその思い込み自体はあまり変わってはいません。

それに、そのことに気付けたからと言って、何か自分が大それたことを成し得るとか、そんなことは思ってはいません。

そうなれたらいいな〜くらいのちょっとした希望はありますが(*´艸`*)♡

ですが突如「ヒーローもヒロインもなろうとしてなったんじゃないのかも知れないな」という考えが浮かんできたら、なんだか急に気持ちが楽になり、急に気持ちも軽くなりました。

そうです。

大勢の人のヒーローになる必要なんてなかったのです。

私は元々大勢で集まるような場所は苦手で、基本的には1人1人のんびり時を共にしていく方が好きかなとも思いました。

改めて今振り返ってみるとそれは今までの自分の働き方にもちゃんと反映されていたのを今知りました。(気付いていなかったんですね、無意識でした)

それは私が企業に属するのを辞めてちょうど3年という時が経とうとしている頃でした。

私は1人1人の人とお話ししたり、1人1人の人と交流の場をもてる仕事をちゃんと選んできていたんですね。

1人1人になら私にも何かできることがあるかも知れない、、、

そんな風に思った今日でした^^

大好きな社長との再会

今日は以前からずっとお世話になっている、ある会社の社長さんと久しぶりに食事をしました。

以後たいちゃん(仮)と呼びます。

たいちゃんと会うのはおよそ1年ぶり。

私はたいちゃんが大好きですので長らく待っておりました。

どういうわけかたいちゃんは、いつもとっても良くしてくれます。

美味しいものに目がないたいちゃんですが、時折私のことを招待くれてはとんでもなく良いものをごちそうしてくれます。

本当に「なんで私なんかがかな?」とは思いますが、でもせっかく神様から頂いた大切な大切なご縁ですから、ただただ今後も大切にしていこうと思う次第です。

できればいつかどこかのタイミングでたいちゃんをビックリさせられるような何かサプライズをしたいと考えていますが、今はまだ模索中です。

本当にいつも自分では行けないようなスペシャルなお店ばかり、嬉しいのは本当に山々なのですが、こんなにスペシャルなことばかり起きるので、やっぱり私も「何か(たいちゃんに)できることはないのかな?」と考えてしまいます。

しかしそうは言っても、結局はいつも通り、このようにのほほんとさせてもらっています。|•ω•。)"…

しかしそんな私にたいちゃんは「あんまり話せる人がいねぇからよぉ〜」と笑って明るく声を掛けてくれます。

私はそれをとても嬉しく思い、そして少し誇らしくもあります。

もちろんたいちゃんにはご家族がいらっしゃいます。今日も家族のお話を楽しそうにしていました。

なので家族に話せないということではないと思うんです。

ですが家族だからこそ、いえ、家族じゃない人間だからこそ話しやすいっていうことももしかしたらあるのかも知れないな...と、なんとなく後からそんな考えが湧いてきました。

今日は少し前にたいちゃんが病気になったという話をしてくださいました。

もちろんそのことはご家族も知っているとのことでしたが「やっぱそういう時って男の方が弱虫なんだよな」なんて言ってまた笑っていました。

病気を怖がっていたたいちゃんの話を本当に奥さんはよく聞いてくれたと「あんたそれ昨日も言ってたわよなんて言われちゃってさ」と笑って言っていました。

それを聞いた私もまたほっこりしていました(。uωu)♡

何はともあれ、また元気になったたいちゃんと会えて本当に嬉しかったです。

きっとご家族にはもちろんいろいろをお話されているとは思うのですが、日頃…と言うのでしょうか。

たいちゃんに限らず、本当はもっと人っていろいろなことを話したかったり、分かち合ったりしたい生き物だと私は思うんです。

それは私も含めて。

それが人によっては、立場だったり、周囲からの目だったりを気にしなくてはいけない。

そういうのも幾分かは理解しているとつもりだったんですが、今日改めて「やっぱりそうなのかも知れないな」と、そんな風に思えた今日でした。

本当にたいちゃんにはいろいろな面で感謝していますし、尊敬もしています。

以前はこんな風に誰かから話をしてもらうと「何か(良いことを)言わなきゃ」とか「何か(良いことを)返さなきゃ」と、焦る時期もありました。

しかし元々私が人に相談することが少なく、仮に何かを相談したとても、これは本当に申し訳ないのですが「わかってもらえ(て)ないな」と感じている時に「わかるわかる」と言われるのがちょっと嫌いというか、、、

「別に私は何か言って欲しいわけじゃないんだけどな...」と思うことがよくあったんですね。

「あぁ、私は聞いて欲しかったんだな。」と思いました。

その頃からあまり同意することを止め、求められなければ特に意見も言わなくなったと思います。

それでか以前働いていた職場の女性には「それだけ?」と物足りなさそうにされることもちょこちょこありました(汗)

なので、万人に対して〝聞き上手〟になれるとは思ってはいません。

ですが本当にただ「ふんふん」と聞いているだけでも喜んでくれる人はいるんですね。

例えばたいちゃんのことで言えば、〝自分の話を聞いてもらえる〟ということは、もしかしたらですが、たいちゃんにとってはスペシャルなことだったのかも知れないなという風に思いました。

もちろん私としては、そうだったら本当に有難いことなんですが、でもきっとそういうことなんだろうなって、ふとそんな風に思えた今日だったんですね。

見ず知らずの人でも助けてくれる世の中

それでですね、今日みたいなことって実は今まで人生の中でもけっこう頻繁に起こっていたなということに気付いたんです。

でも面白いことにそれはいつでも良い形で起こっていたということではなかったみたいです。

ここ最近ではそういういこともだいぶなくなりましたが「いや、特に聞いてないんですけど...」とそんな風に思っても、延々としゃべりかけてくる人いませんか?

私は過去にけっこうそういう経験が多かったのですが、それが=ダメとは言いませんが、なんか気付くといつも私が聞き役になっていて「今私がしゃべっていたのに...」と嫌な気持ちをすることも多々ありました。

でもそうは思っても、相手の話を端折ったりするような勇気は私にはなく、帰る頃にはぐったり...そんな思いをすることはしょっちゅうでした。

でもですね、こういう人けっこういるみたいなんです(笑)

笑っちゃいけないなとは思うのですが、あまりにも私自身がそういった経験をすることが多かったので、いつの日か〝店員 話を聞かない〟とか〝美容室 一方的に話してくる 対策〟みたいな単語を入れて検索したことがあったんですね。

すると美容室やネイル、まつエクにエステ、タクシーの運転手さんなど、主にそういった接客ありきの場所になると「いつも自分が聞き役になっている」という方が他にもたっくさんいらっしゃったんですね。

「へーっ!?「私だけじゃないんだ!?」ってなりました。

でもですね、じゃぁ、少なくともそういう話を聞いてもらえない、もっと言うと、そうやって自分の言いたいことを我慢してまで相手の気持ちを優先させてしまう人たち、すなわちそんな人の良い人たちっていうのは一体いつになったら自分のことが話せる時が来るのかな?と、そうとも思いました。

そうやって「話を聞いてもらえない」って普通に辛いと思うんですが、でもそれを続けていると(敢えて〝続けている〟と言いますね)今度は「誰もわかってくれない」とかにもなりませんか?

なんでこれだけの人がいるのに、自分のことを聞いてくれる人が1人もいないんだ!?

聞くって言ったのに結局私の話聞いてくれないじゃん(泣)

なんで誰も私のことわかってくれないんだろう。。。

わぁーーー!!

ってそんな風にはなりませんでしたか?

少なくとも私はそうでした。

そしてやはりその間はとても孤独に感じました。

寂しかったし「一生こんななのかな」と絶望的にも思えた時もありました。

ですがそんな中でも、やっぱり心のどこかにゆとりや安心感が欲しかったのでしょうね。

現実世界では諦めても、その時ばかりはネットや二次元なんかに癒しや正解を求めていた時がありました。

散々インターネット内をさまよった挙句、時折ですが、数人でも、自分と似たような境遇の人。考えの人。自分とは違っていても「なるほど」と思えるような新しい考えを授けてくれる人、さまざまな人たちとのご縁をいただきました。

本当にそのような方々にたっくさん助けられました。

今ではインターネットそのものがそういう場でもあると思うのですが、私にとっては、それまでは知っている人と、多少なりとも関わったことがある人でしか私という人間の世界は構築されていなかったので、言い方は少し乱暴かも知れませんが「なんで会ったこともない他人たちが見ず知らずの私のことを助けてくれるんだろう(わかってくれるんだろう)」なんて、そんな風に思うことはしょっちゅうありました。

今では時折連絡を取り合うような友人と呼べる人もその中にはいます。

ですので私は、そのような世界観があると知ってからは多分このようなことを夢見ていたと思うんです。

でも、どうすればいいのかがわかりませんでした。

なのでそうは思っていても、なかなか重い描くような形にできませんでした。

しかし何度か失敗と経験を繰り返しているうちに、ようやくこれらの思いが形になったものがrelievedだと私は考えています。

冒頭の方でお話ししたようにやはり怖さももちろんありました。

しかし、のほほんとでも歩き始めた瞬間、それはまた背中を押すようにやってきました。

ピンと来る方もいらっしゃるかも知れませんが、メディアなどから程遠い場所にいる私ですら、胸が締め付けられるほど悲しいニュースが舞い込んできました。

内容については触れませんが、そのニュースを見て私は「やっぱり人には話せる場所が必要だ」と強くそのように思いました。

もし今「誰かに話したいけど話せる人がいない」とか「聞いてくれるだけでもいい」とか、そのような方がいらっしゃいましたら、ご遠慮なくコメント欄やお問い合わせフォームを使ってお気軽にその旨を送ってみてください。間違いなく私に届きます。

いかなる内容であってもご本人の許可無くしてブログ等に掲載することはありませんのでどうぞご安心ください。

今あるもどかしさだったり、抱えきれないような何かを手放す場としてrelievedを使ってもらえたらいいなと思います。

ほんの一瞬の〝ホッ〟かも知れませんが、そのような心優しくあろうとする人たちが集まればそんな一瞬の〝ホッ〟もどんどん確固たる安心に繋がると思うのです。

そんな〝ホッ♡〟を少しでもたくさんの方に受け取ってもらえたら嬉しいです♡

苦しいとか辛いとかそういったことに限らず、例えば「今日誰々がお花をプレゼントしてくれて、それがものすごい嬉しかった。」とか、そんなことでもいいです^^

むしろそんな人でいっぱいになれたらいいなと思っています。

まだまだ一言では言い表せられないような思いはたくさんありますが、このような思いからrelievedを作り、そして今こうして皆々さまのお目に掛かれております。

長くなってしまい読むのが大変だったと思いますが、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。

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